http://meigen.ko2ko2.net/2012/07/1586.html
良い話だなぁと思って、掲載してみます。
あまりに、忙しなく、動きまわることが多い昨今、意識的に止めることの重要性を感じます。
初めて座禅というものをしてみると、その辛さにびっくりします。ちょっとジッとしているだけなのに、すごく時間が長く感じられます。
それはまず日常のなかに、寝ている以外で止まっているときがないからです。
そしてその姿勢(体をまっ直ぐにすること)に慣れていないからです。「正しい」という字は、一度止めると書きます。正しい心も一度止めてみないと見えてこないのです。それが座禅です。
『いい人生をつくるはじめての禅のことば』 (金嶽 宗信 著/あさ出版) より
そういえば、わたしも初めて座禅に挑戦したときは、ほんの数分がとても長く辛く感じました。
「日常のなかで止まっているときがない」というのは、言われてみるとそうなのかも。ジッとしている時間がもったいないと思えて、常に「なにか」をしていないと落ちつかないということはありませんか?
電車にのっている時は本を読む、信号待ちではメールや SNS をチェックする。お店で食べ物をオーダーした後、料理が運ばれてくる間に雑誌を読む。ゆっくりコーヒーを飲んで休もうと思っても、ついついネットニュースを見てしまう。
まったく、なんてせわしない生活でしょう。
たまには座禅や瞑想で、意識的に「止まる」ことを習慣にしてみませんか?
人間どんなことをやるにも、我慢が必要です。
そのものに慣れるまでは、誰でも辛い。
しかしそうやって、みんないろいろなことを身につけるのです。体をまっ直ぐにしていると、自分の心棒ができてくる。その一本の棒を引けることが、辛いから幸せを見出せる素です。
同書より
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